はじめに:Wolfenstein 3Dの影に隠された先駆者
id Softwareの歴史を語る上で、1992年にリリースされた『Wolfenstein 3D』がFPSジャンルの基礎を築き、『Doom』や『Quake』といったその後のヒット作へと道を拓いたことは広く知られています。しかし、id Softwareの熱心なファンでなければ、その直接的な前身であり、インスピレーションの源となったファーストパーソンアドベンチャーゲーム『Catacomb 3D』について記憶している人は少ないかもしれません。今回、リリースから35年近くが経過した今、id Softwareの共同創設者であるジョン・ロメロ氏が、この忘れられがちな作品の誕生を振り返る貴重な映像を公開しました。
技術革新:テクスチャマッピングと没入感の追求
『Catacomb 3D』は、idの初期作品『Catacomb』(アーケードゲーム『Gauntlet』のクローン)の続編として位置づけられています。共同創設者のジョン・カーマック氏は、当時のPCゲームにおいて流行とは言えなかった「アクション重視の素早い展開」というコンセプトを追求しました。技術的な観点から見ると、『Catacomb 3D』は数ヶ月前にリリースされた高速FPSゲーム『Hovertank One』の成功を基盤としています。
本作における主要なグラフィック上のブレイクスルーは、テクスチャマッピングされた壁の導入でした。カーマック氏はこのコンセプトに以前から関心を持っており、Paul Neurath氏の『Ultima Underworld』での成功を聞きつけ、この技術を『Catacomb 3D』に適用することを決意しました。カーマック氏は、当時SGIワークステーションなどのハイエンド機でしか実現できなかった「完全に汎用的な」テクスチャマッピングを、ホームPC向けに「簡略化しつつも高速に動作する」形で実装することに成功しました。これは、EGAグラフィックが一度に複数のグラフィックデータを書き込めるというトリックを駆使したことによるものです。
『Catacomb 3D』でファーストパーソン視点が採用されたのは、主に「プレイヤーキャラクターのような大きなものを画面に描画するコストが非常に高かった」ためだと、共同創設者のトム・ホール氏は語っています。しかし、この視点はエイミングを簡素化し、真の没入感を提供しました。ホール氏が描いたシンプルなキャラクターデザインは、エイドリアン・カーマック氏によって、16色320×200解像度のフレームワークに落とし込まれ、「時代を超越した雄大な芸術作品」へと昇華されました。
ビジネスの岐路:コマンダー・キーンからWolfenstein 3Dへ
id Softwareが高速アクション重視のファーストパーソンゲームへと舵を切ったことは、今となっては当然のように思えますが、当時のチームにとって決して容易な決断ではありませんでした。『Catacomb 3D』は、Softdisk社の「Gamer’s Edge magazine-on-a-disk」向けの契約を通じて、わずか5,000ドル(2025年12月換算で約11,750ドル)の収益しか上げませんでした。一方、当時人気のあった2D横スクロールアクションゲーム『Commander Keen』シリーズの各エピソードは、その10倍もの収益を上げていたとロメロ氏は述べています。
そのため、『Commander Keen』に固執することが「明らかなビジネス上の決定」のように思われ、チームは『Catacomb 3D』リリース直後にも、パララックススクロールやフルVGAカラーに対応した7番目の『Commander Keen』ゲームの開発を開始していました。当時のジョン・カーマック氏にとって、『Catacomb 3D』は「異なる技術を試してみたかっただけの、奇妙なギミック的なもの」に過ぎないと感じられていました。
しかし、エイドリアン・カーマック氏が『Catacomb 3D』のゲーム内でトロールに直面した際の「椅子から転げ落ちそうになるほどの体験」が、ジョン・カーマック氏の考えを変え始めました。エイドリアン氏はその没入感について「壁やドアの向こうを覗き込もうとすると、突然現れる。あれは今まで見たビデオゲームの中で最もクレイジーな体験の一つだった」と語っています。このチーム内での強い反応が、最終的にチームに『Keen 7』の開発を中止させ、後に『Wolfenstein 3D』となる作品に集中させる決断を促しました。「これが未来の進むべき道だと感じた」とジョン・カーマック氏は述べ、ロメロ氏も「これは未来ではない。未来は『Catacomb』でやったことをさらに良くすることだ」とチームを説得し、全員がその意見に同意したといいます。
結論:FPSの未来を切り拓いた遺産
『Catacomb 3D』は、商業的な成功こそ『Commander Keen』に劣ったものの、id Softwareがファーストパーソン視点とテクスチャマッピングという革新的な技術に挑戦するきっかけとなりました。この作品での経験と、開発チームが直感的に感じた「未来への可能性」が、後にFPSジャンルを確立する記念碑的作品『Wolfenstein 3D』へと直接的に繋がり、その後のゲーム業界に計り知れない影響を与えることになります。忘れられがちな名作ですが、『Catacomb 3D』がゲーム史に果たした役割は決して小さくありません。
