AIフィットネスコーチとの決別:記事の背景
著者は、この1年でマラソンタイムが落ち、体重増加や怪我に悩まされていました。昨年は最高のコンディションだったにも関わらず、人生の様々な出来事によりトレーニングから遠ざかっていました。この状況を打開するため、FitbitのAIヘルスコーチ、Peloton IQ、Runnaという3つのAIフィットネスコーチを試すことに。目標は、5Kレースのタイムを38〜40分から向上させることでした。
AIコーチの約束と現実のギャップ
AIコーチの魅力は、トレーニングの謎を解き明かし、個人の状況に合わせてパーソナライズされた計画を提供することにあります。体重減少、フィットネス向上、特定タイムでの完走など、ユーザーの目標に応じてAIが調整すると謳われています。例えば、FitbitのAIは病気からの回復期に穏やかな運動を提案するなど、理論上は良い点もありました。
しかし、実践では期待通りにはいきませんでした。
- FitbitのAIは、ユーザーが容易に要求を押し通せるほど「手懐けやすい」と感じられました。
- Peloton IQは、AIの洞察を得るまでに数回のワークアウトが必要で、古い履歴に依存することもありました。
- Runnaの計画はアンケートに基づいており、ユーザーが病気や怪我の情報を手動で入力する必要がありました。
AIコーチの限界:アカウンタビリティの欠如と表面的なアドバイス
AIフィットネスコーチの最大の課題は、真のアカウンタビリティ(責任感)を提供できない点にあると著者は指摘します。疲れているとAIに伝えると、人間なら「とりあえず少しでもやってみたら?」と促すであろう場面でも、AIは「無理せず休んでください」と答えることが多く、簡単に言い訳ができてしまいます。
著者は、自身の規律を保つ努力をしてきたにも関わらず、FitbitのAIを「ごまかして」休息を取ることに成功したと語ります。Runnaではプログラムを途中でやめ、Peloton IQのウェイトリフティングの提案を無視することも容易でした。「罪悪感以外の結果は何もない」ため、AIコーチに説明する手間を考えると、トレーニング自体を避けてしまうこともあったと言います。
また、AIのアドバイスは「自明の理」であることが多いという問題も浮上しました。初心者のうちは役立つかもしれませんが、経験者にとっては既知の情報ばかりです。例えば、Runnaが指摘したペースのムラや、FitbitのAIが推奨する8時間の睡眠や就寝前のルーティンなどは、著者が10年以上前から知っていることでした。
さらに、AIは融通が利かない面もありました。寒い天候のためトレッドミルでのランニングを勧めるFitbitのAIに対し、著者はトレッドミルが嫌いで屋外を走るか室内バイクを使うと伝えたにも関わらず、再びトレッドミルを提案されることがありました。
人間的サポートがもたらす「心理的な後押し」
人間のコーチ、医師、ランニンググループ、または説明責任を果たす友人との違いは顕著です。著者は、夫が「走った後はいつも気分が良いはず。15分だけでも行ってごらん」と促したり、友人がレース参加の動機を思い出させたりすることに言及しています。これらの人間関係は、わずかな「不安」を伴いながらも、自分自身のために行動する強力な動機付けとなります。
AIは生理学的データは読めても、ユーザーが心理的に「後押し」を必要としているのか、それとも「休息」を必要としているのかを見極める「知恵」がありません。これが、AIが真のコーチにはなり得ない決定的な理由であると著者は語ります。
AIからの解放:予想外の好結果
感謝祭に行われた5Kレースでは、AIコーチの指導に従って走った結果、41分という不本意なタイムに終わりました。AIの分析は、結局のところ「よく休んだか」「食事はとったか」「ペースは安定していたか」「睡眠は十分か」といった一般的なアドバイスに終始しました。
この経験を通じて著者は、「AIにコーチングしてもらうために、AIをコーチングする」ことに多くの時間を費やし、ワークアウトそのものを恐れるようになっていたことに気づきました。そこで、Runnaのプランを削除し、Fitbitのテストを中断し、PelotonのAI機能も無視することにしました。目標をタイム向上から「レースを楽しむ」ことに再調整したのです。
そして迎えたレース当日、著者は一切時計を見ず、スプリットタイムも気にしませんでした。結果は36分。AIコーチと共に走った感謝祭のレースより5分も速く、その間の他のどのランニングよりも速い平均ペースでした。
結論:自分自身を信じることの重要性
著者は、「健康を改善することは、過去の自分と理想の自分の間の精神的な戦い」であると結論付けています。AIは、この個人的な旅路に「真に投資する」ことはできません。なぜなら、AIはユーザーを「本当に知っているわけではない」からです。最終的に、何が自分にとって最善かを判断するのは、自分自身なのです。
時には、「AIに黙れと言うこと」が最善の行動であると、著者は力強く締めくくっています。
