AIスタートアップを巡る新たなVC戦略「キングメイキング」
現在、ベンチャーキャピタル(VC)業界では、AIスタートアップに対し、その成長の極めて初期段階で巨額の資金を投じる「キングメイキング」戦略が展開されています。この戦略は、特定の企業を市場のリーダーとして確固たる地位に押し上げることを目的としています。
「キングメイキング」戦略の定義とその進化
「キングメイキング」とは、競合がひしめくカテゴリーにおいて、選ばれた特定のスタートアップに大規模な資金を注入し、競合他社を圧倒するほどの財政的優位性を持たせることで、市場支配の様相を早期に作り出す投資手法です。
この戦略自体は目新しいものではありませんが、その実施時期が大きく変化しています。2010年代には「資本を武器にする」という形でUberやLyftのような企業がシリーズCやDラウンドで大規模な資金調達を行ったのに対し、現在のAI分野では、シリーズAやBといったはるかに早い段階でこの戦略が実行されている点が最大の特徴です。
注目される具体的な事例:DualEntryとその他AI企業
この戦略の好例として、AIエンタープライズリソースプランニング(ERP)スタートアップのDualEntryが挙げられます。同社は設立わずか1年で9,000万ドルのシリーズA資金調達を発表し、評価額は4億1,500万ドルに達しました。あるVCの報告によれば、この取引が評価された8月時点での年間経常収益(ARR)はわずか40万ドル程度であったとされており、収益と比較して非常に高い評価額が付いたことが注目されています。
同様に、DualEntryの競合であるRilletやCampfire AIも、それぞれ短期間に連続して大規模な資金調達を実施しています。
- Rillet: 7,000万ドルのシリーズB資金調達をa16zとIconiqから受けたのは、Sequoiaが主導する2,500万ドルのシリーズAからわずか2ヶ月後でした。
- Campfire AI: 3,500万ドルのシリーズA(Accel主導)の数ヶ月後に、6,500万ドルのシリーズB資金調達を行いました。
このパターンはAI ERPに留まらず、ITサービス管理やSOCコンプライアンスなどの他のAIアプリケーション分野でも頻繁に見られます。
巨額投資の背景とVCの思惑
なぜVCはこのような早期の巨額投資を行うのでしょうか?
- 大企業からの信頼獲得: 多額の資金を調達し、潤沢な資金を持つスタートアップは、大企業にとって「生き残る可能性が高い」と認識され、主要なソフトウェア購入において優先されるベンダーとなる傾向があります。法務AIスタートアップのHarveyがこの戦略で大口顧客を獲得した例が示されています。
- 「パワーロー(冪乗則)」への確信: 歴史的に見れば、大規模な資本投下が必ずしも成功を保証するわけではありません(物流会社Convoyやスクーター会社Birdの破産などの失敗例も存在します)。しかし、VCは「パワーロー」の教訓を深く理解しており、2010年代にUberなどの企業が予想をはるかに超える成長を遂げた経験から、早期に市場を支配するであろう勝者を見極め、そこに集中投資することの大きなリターンを期待しています。
この動きがAI業界の競争環境にどのような影響を与え、真のイノベーションを促進するのか、あるいは市場の偏りを生むのか、今後の動向が注目されます。
