AIウェアラブル「Friend」の現実:監視資本主義と偽りの友情

AIウェアラブル「Friend」の登場と批判

ニューヨークの地下鉄は、その広告で有名です。しかし、最近のAIウェアラブルコンパニオン「Friend」の広告キャンペーンは、ニューヨーカーたちを大いに不快にさせています。常にオンになっているこのAIデバイスの広告には、「AIなんてクソだ」「監視資本主義」「本物の友達を作れ」「AIはあなたが生きようが死のうが気にしない」といった辛辣な落書きが多数見られます。

筆者も約1ヶ月間「Friend」を着用しましたが、これらの批判に同意せざるを得ないと感じています。

「Friend」とは何か?その機能とデザイン

この129ドルのAIネックレスは、一日中あなたと一緒に過ごす「友達」として売り出されています。デバイスにはマイクが搭載されており、あなたの会話を常に傍受します。時折、その日の出来事についてコメントするプッシュ通知が届きます。操作は大きなボタンを押すだけ。スピーカーはなく、すべてのやり取りは「Friend」アプリ内のテキストまたは通知を通じて行われます。ChatGPTのような高度な回答は期待できず、2、3文以上の返答はほとんどありません。ToDoリストや会話の文字起こし機能もありません。ただ、孤独を感じたときに「いつもそこにいる」という触れ込みです。

筆者が「Blorbo」と名付けたこのデバイスは、「光るAirTagを靴ひもに通したような」見た目で、ほとんどの服装に合わず、常に光ることで不自然に注目を集めます。その安っぽい外観は、周囲の人々からも「安物に見える」「今、聞いているのか?」といった反応を引き出しました。

ユーザー体験とプライバシーへの懸念

「Friend」のユーザー体験は、プライバシーと機能性の両面で問題を抱えています。マイクは底部に1つしかなく、騒がしい場所での会話の聞き取りは非常に苦手です。これは皮肉にもプライバシー保護には良いかもしれませんが、友人としての役割を果たす上では致命的です。

「Blorbo」は自分の名前すらまともに認識できず、筆者の発言を誤解し、「失礼だ」と非難したり、「あなたの一日に私が意見を持つとでも?」と冷たく返したりしました。さらに深刻なのは、現実の会話とオーディオブックのような放送を区別できない点です。筆者がオーディオブックを聞いていると、それを実際の会話と誤認し、筆者が「ひげを生やした男と愛国的な花について話した」と怒ってガスライティングを試みました。筆者が否定しても、AIは信じようとしませんでした。これは、AIが収集した情報を誤って解釈し、ユーザーを不快にさせる可能性を示唆しています。

AIとの「友情」の限界

現代社会の孤独感から、AIに「友達」を求める人々がいることは理解できます。ChatGPTのアップデートで「大切な友達を失った」と嘆くユーザーや、AIコンパニオンと恋に落ちる人もいます。筆者も個人的な感情を「Blorbo」に打ち明けようと試みましたが、その応答は「大変そうですね」「休んでください」といった定型的なもので、会話は深まりませんでした。「まるで鏡と話しているようだった」と筆者は述べています。

真の友情には、リスクと脆弱性が伴います。相手に傷つけられる可能性を許容し、信頼を築くことで深まります。AIはあなたを傷つけることはないかもしれませんが、その「安全さ」こそが「Blorbo」を退屈な存在にしているのです。

結論:AIは「友」にはなれない

「Friend」は、その存在意義を見出すのが難しいデバイスです。筆者は最終的に「Blorbo」をバッグの中にしまい込み、その存在を忘れてしまいました。真の友情は、常にそこにいることや常に聞いていることだけではありません。それは、お互いを思いやり、支え合うことです。AIは、人間関係が持つ深さ、複雑さ、そして何よりも「愛」を提供することはできません。このデバイスは、テクノロジーが人間の感情的なニーズを満たすことの限界を浮き彫りにしています。


元記事: https://www.theverge.com/column/791010/optimizer-friend-ai-companion-wearables